国内で活躍する輸入車たち(1)~日本車と外国産車の歴史~
日本から多くの車が外国に旅立ち、外国で活躍しているという話を展開してきましたが、ここでは、逆に日本で活躍する外国産車についてのお話を中心にしていきます。
今日では当たり前のように日本の道路を走っている外国産車、いわゆる「外車」ですが、外車は一体どのようにして日本に浸透し、今日に至るのでしょうか?日本における外国産車の歴史を中心に見ていくことにしましょう。
輸入車・外車は高い?安い?
輸入車とは、外国で作られた車両を日本へ取り寄せ(輸入)たものを指します。以前は外国産のメーカーのみの取り扱いでしたが、近年では外国仕様に現地で生産された日本車も同じように輸入車というくくりにされているのが特徴です。
また、外国産車(外車)も輸入車と同じ意味となります。ただし、単純に外車というような場合は、日本のメーカーが外国仕様に作った車のことは指さず、純粋に外国にメインの拠点があるメーカーが作った車のことを指す場合が多いようです。
輸入車というと、つい最近のことだと思っている人も多いようですが、取引の歴史は20世紀初頭から始まっていたのだそうです。ペリーが黒船で来航したとされているのが1853年ですから、そこから鎖国をやめ、50年も経たないうちに日本は変わり、幕末、明治時代へと移り変わっていったことになります。
しかし、当時の日本には、まだ自動車文化が国内に根付いていなかったこともあり、外車どころか、日本車の需要もほとんどなかった時代です。さらには、ただでさえ売れていなかった輸入車に対して、アメリカで販売されている価格のおよそ4倍という高値を付けていたと言います。
まだまだ皆が裕福だとは言えなかった日本の一般家庭には、とても手の出ない価格だったのは言うまでもありません。そこで、自動車を卸していた外国商館は、花柳(かりゅう)界の大金持ちを中心に販売を浸透させたのですが…。結局今でも一部に根付いている「外車は金持ちの道楽」という烙印を押されることになってしまうのでした。
…というのも、当時の日本の一般市民が理想とする乗り物はまだ「馬車」の時代。当時は得体のしれない自動車よりも、豪華な造りの馬車の方が人気も高かったのです。
1923年、関東大震災によって、当時の東京市は今までの機能を失い、路面電車も使用不可能になり、東京市に大きな問題としてのしかかりました。そんな時、白羽の矢が立てられたのがアメリカのフォード社です。
路面電車を管理していた東京市電気局は、フォード社へ路面電車の代わりとして、当時のTモデルを1000台発注。すぐに対応できたのは800台ほどでしたが、通称「円太郎バス」は当時の復興を助ける大活躍をすることになります。
それ以前から、フォード社は日本初のタクシーとして運用されるなど、さまざまな方面で活躍していました。そして、これを機にフォード社は日本へ工場を作るなど、進出をはかるようになります。
この頃は価格が比較的安く、品物が安定している自動車を出せる企業はフォード社だけだったといい、日本を始め、さまざまな国々で使用されるようになっていくのです。
フォードを真似た、トヨダG1型トラック
しかし、日本は徐々に軍人が力を増すようになり、フォード社、その後に日本に工場を作ったGM(ゼネラルモータース)社は日本を撤退することになります。外国製品は使わないという雰囲気になっていき、再び日本は鎖国のような状態になりました。
第二次世界大戦の敗戦を機に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本で活動、日本へ外国産車が再び持ち込まれます。これにより、日本人はアメリカの車の洗練された車両を目の当たりにし、憧れを抱くようになりました。さらに、GHQでも欧州産のスポーツカーに乗っている人もいて、日本人の憧れはますます外車へ…。
というのも、当時の日本車はまだ製造のレベルが低く、あまり人気がなかったのもあるのでしょう。
外車(特にアメリカ車)への憧れが増す一方、日本では国レベルで、いわゆる「国産車」の製造に関する議論がなされます。まずは技術の習得をしなければならなかった日本は、欧州車のノックダウン生産を始め、販売をすることになります。
ノックダウン生産とは、部品を現地から輸入、組み立てを行って生産をする方式のことです。これにより生産、販売された車両のほとんどはハイヤーやタクシー用のもので、日本人が生活必需品として車を手にするのは、もう少し先になります。
1950年代くらいまでは欧州車が日本の車の多くを占めていましたが、1960年代から高度経済成長も手伝い、徐々に日本車が普及し始めることになります。日本のモータリゼーション化(一般に自動車が普及し、生活必需品となること)が進み、外国産車が高級車の憧れとして根強く人気が残る一方、国産車も力をつけていくことになるのです。
欧州車と言えば、メルセデス・ベンツ!!
日本ブランドも品質は最高級だ!
その後、日本では1970年代のオイルショックを始め、バブル景気とバブル崩壊…。さまざまな歴史上の流れを経て現在に至ります。1978年には、完成車の輸入に限り関税を完全撤廃し、世界でも珍しい自由な市場として成長を遂げていくことになりました。
2000年代に入り、外車の需要が緩やかに減っていく一方、日本のメーカーが外国で日本向けに生産し、輸入している車両の人気が高くなってきています。輸入車の今後はどうなっていくのでしょうか。
人気の高い、輸入車
古い年式なっても魅力あるデザインが多い
こうやって見ていくと、外国での日本車の人気と信頼は、つい最近のことだということが分かります。また、当時は発展途上だった日本、あるいは関東大震災や戦後の復興や経済成長を支えてきたひとつに挙げられるもの、それが外国産車なのです。
これからどういう車両が人気になり、変わっていくのかにも注目していきましょう。
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