はじめまして。 横浜国立大学フォーミュラプロジェクト(YNFP)にて、2017年度テクニカルディレクターを務めました市川です。
このたびYNFPのメンバーでコラムを書かせていただくことになりまして、そのトップバッターを務めさせていただきます。
学生フォーミュラという活動をやっていると、おのずと話したいネタも増えてきますが、今回は自分自身が学生フォーミュラ活動の中で特に印象に残っている2つのことと、この活動を通して学べたことについて話していきます。
まずは、横浜国立大学フォーミュラプロジェクト(YNFP)について簡単に説明します。 一言でいうとYNFPは『学生フォーミュラ活動』をしています。 学生フォーミュラって… 何? と、いう方もいらっしゃると思うので、簡単に説明させていただきます。
学生フォーミュラとは、1年に1台のフォーミュラカーを学生自身の手で企画・設計・製作・走行等を行い、毎年9月に行われる全日本学生フォーミュラ大会で順位を競うといった活動です。 YNFPは、2005年から毎年大会へ出場しています。 総合優勝は未経験ですが、最高順位は2位を2回(2011、2016)獲得、またほぼ毎年TOP10圏内で入賞しています。
より詳しい情報についてはYNFPのHP(http://ynfp.jp/)を見てください。 自分と、モータースポーツ・学生フォーミュラとの出会いは、親がテレビで見ていた2004年のF1開幕戦をなんとなく見ていたことがきっかけでした。 そこからおのずと当時F1で活躍していた佐藤琢磨選手のファンとなり、それ以降モータースポーツ観戦が一つの大きな趣味となっていきました。
そんなある日、テレビのニュースで学生フォーミュラがちょっとした特集として放送されていたのを見ました。 自分も大学生になったら、学生フォーミュラをやるしかないなと考えました。 高校3年になり進路を考える上でも、その大学が学生フォーミュラをやっているかどうかが大きな判断材料となりました。 結果的に第一志望の横浜国大に入学することができ、迷うことなくYNFPに入部し一つの目標を達成したのです。
2015年度チーム(YNFP-15)~2017年度チーム(YNFP-17)の3年間YNFPに所属し、たくさんの経験を積むことが出来ました。 その中でも特に印象に残っていること、それは
●ドライバーとして活動できたこと。
●最後の一年間、カウル担当として活動したこと。
の2つです。 この2つを中心に、自分のYNFPでの3年間を振り返っていきます。
小さいころから佐藤琢磨選手にあこがれ、レーシングドライバーになりたいという夢を持ったこともありました。 YNFPに入部し、何が一番やりたいかと聞かれたら、迷わず「ドライバー」と答えていました。別の言い方をすれば、ドライバーがやりたいからYNFPに入ったといった方がいいかもしれません。
小学生の時から親にレンタルカート場に連れて行ってもらったりしていたので、少なからずドライバーに対する自信はあったのです。 大会でドライバーとして競技に出るには普通車免許が必要であり、5月のはじめくらいから教習所にも通い始めました。 チームのスポンサーをしてくださっているカート場で練習をしつつ、結果的に8月のはじめに免許を取得したのですが、これでは大会でドライバーをやるには遅すぎました。
自分が免許を取ったころには、すでに大会に出場するドライバーはチームの中で先輩含むほかの4人で決定しており、自分が大会でドライバーをするという目標は来年以降に持ち越しとなってしまいました。 悔しかったですが、自分の免許取得が遅れてしまったのは自業自得だったし、決まったからにはしょうがないとその時は割り切りました。
とは言いつつも、大会前に一回はマシンに乗せてほしかったなぁ、なんて思います(笑)。 もっとアピールしておけばなぁとか、いっぱいタラレバが出てきますね。 その後1年生としての大会を終え、1か月経つか経たないかのうちに、マシンに乗せていただく機会を得ることが出来ました。
この時の感覚は今も鮮明に覚えています。 コックピッドからの景色だったり、マシンの加速だったり、本当に興奮したのを覚えています。 正直、1年生の大会までは辞めたいなって思うときもたびたびありました。
しかし、マシンに乗らずして辞めるのはあり得ないと、自分に言い聞かせて迎えたマシン初ドライブ。 この日を境に辞めたいなんて思うことは、ほぼなくなりました(笑)。 やっぱり、やりたかったことが実現するというのは何にも耐えがたい興奮が得られるんだなと強く感じました。
それと同時に自分たちが作っているものがどれだけすごいものなのか、これを自分たちで作り上げて自分で運転するということがどれだけ楽しいことなのかということを、身をもって体験した一日でした。
Fig1.マシン初ドライブ
マシン初ドライブを終え、チームとしては新車両の設計、製作をしていきました。 初の、設計・製作ということで不慣れなことも多く、特に製作期は朝早くから時には夜通しでフレームパイプのすりあわせを行う日もありました。
メンタルがきつい時も、 「これを乗り切らなければ、ドライバーとしてマシンに乗れないんだ」 と自分に言い聞かせて日々を過ごしていたのを覚えています。 3月の終わりにシェイクダウン(新車両初走行)を迎え、久しぶりに乗ったマシンはやっぱり素晴らしいものでした。
昨年とは違い、自分たちが実際に設計をし、製作にも携わった思い入れのあるマシンに乗るという喜びはとても大きなものでした。 4月から9月の大会までは、マシンを走らせてブラッシュアップをしていく期間となり、ドライバーとしてはとても楽しい時期となります。
特に静的審査対策が終わってからの7~9月は毎週のように走行会があり、忙しくもありますが、自分としては本当に楽しい時期でした。 また、この時期になってくると他大学との合同走行会も増えてくるため、自分たちが現在どの位置にいるのかということが、だんだんと明確化されてくる時期となります。
マシンに乗って、自分が感じたマシンの状態をメンバーに伝え、セッティングを施し、再び走る。この一連の流れが本当に楽しくてたまりませんでした。 小さいころからの夢であった、レーシングドライバーという夢が叶ったような気さえしました(笑)。
そして迎えた自身2度目の大会。 昨年とは違って、ドライバーとして参加できる大会は本当にたのしみでした。 自分は、『オートクロス』と『エンデュランス』という競技を担当しました。 結果は、オートクロスとエンデュランスともに、5位という結果を残すことが出来ました。
3位以内の表彰台には上ることはできませんでしたが、オートクロスで5位のタイムを残し、オートクロスTOP6が進出できる『エンデュランスファイナル6』にチームとして初めて進出できたのはうれしかったです。 オートクロスとは対照的に、エンデュランスは自分の中で満足がいかない走りとなりました。
冷却が追い付かず、水温に難を抱えた状態での走行となってしまったため、普段の走行会よりも3~4秒遅く走らざるを得ませんでした。 場内実況では「遅い方のドライバー」なんて言われてしまい、完走できたこと以外はまったく満足できませんでした。
YNFPのドライバーとしてやってきたことの中で断トツ一番悔しかったことですね。 総合結果では、0.61点差での『総合準優勝』。 チームとしては過去最高位タイを獲得できました。
しかし、エンデュランスで普段通り走れていれば優勝できたと思うと嬉しさよりも断然悔しさの方が大きかったです。 ただ、ここでの悔しさが、最後の一年で自分を支える原動力となったのは、言うまでもありません。
自分たちが最上級生となり、チームを動かしていく最後の一年間。 なんとしてでも、雪辱を果たそうとモチベーションは最高に高まりました。
Fig2.悔しかったけど、エンデュランス完走!
YNFP現役としての、最後一年間はテクニカルディレクターとして設計の管理等を行いました。 また、新たにカウル・エアロパーツが担当パーツに加わり、やるべきこと盛り沢山の一年となりました。
ただ、このカウル・エアロパーツがまた曲者でした(笑)。 ドライバーとして、やっぱりかっこいいマシンに乗りたいという思いもあり、マシンの外観を決めるカウル・エアロを担当しました。 設計は、ちょっと解析の回数が多いくらいで問題なく楽しくできました。 ただ、製作がめちゃめちゃきつかった(笑)。
ノーズは、雄型をウレタンで作っていきます。 まずはウレタンを、電動やすりで削っていくことでノーズの概形を出してゆきます。ウレタンを、ちょっと削っただけで全身削りカスで真っ白になります。 しかも、そのウレタンの粉がなかなか取れないので、毎日家に帰っては即シャワーを浴びるという生活だったのを覚えています。
概形が出てからはパテを盛って、削ってを繰り返し、面出し作業を行っていきます。 これもなかなか終わりが見えず、毎日進展があるのかないのかという感じでメンタル面が辛かったです。雄型が出来てからは雌型の積層をし、雌型の面出し、製品積層というふうに製作は進んでいきます。
Fig3.雌型積層(所要時間約12時間、、)
ノーズに加えてエアロパーツの製作もあったために、毎日積層する日々が続いていきました。 ただ、不思議と、もうやりたくないとか、辞めたいとかという気持ちは、全くもって起こりませんでした。
それはやはり去年の大会の悔しさを晴らしたいという気持ちが強くあったからだと思います。ノーズやエアロパーツが搭載されなければ、大会に出られない。 悔しさを晴らすためには、今目の前のことを頑張っていくしかないんだ!という気持ちでした。たまに、去年の散々なエンデュランスの動画を見ることで、モチベーションを高めたりもしました(笑)。 7月の終わりには自分の全パーツを搭載でき、やっと一安心かなと思ったら、そんなことはなかったです。
Fig4.ノーズ・エアロパーツ全搭載。一安心かと思いきや、、
実際にマシンに搭載したらエアロパーツが地面に擦ったり、ステーが壊れたりで、修理、修理の連続、、。 なんだかんだ9月の大会直前まで、ほぼ毎日積層関連のことをしていました。
Fig5.カラーリングされたノーズ。時間をかけた分、思い入れも大きい。
そして迎えた、現役として最後の大会。 自分は、去年と同じく『オートクロス』・『エンデュランス』の、ドライバーとして大会に挑みました。 結果は、オートクロス7位・エンデュランス6位。
オートクロスでは、コンマ1秒ないくらいの差でファイナル6進出を逃し、悔しい結果となりました。 エンデュランスでは、1周目の1コーナでいきなりスピンしてしまいましたが、そこから一回自分を落ち着かせて、その後の9周は自分としても納得のいく走りが出来ました。 正直スピンは余分でした。
しかし、しっかりと完走できたので、去年のエンデュランスの悔しさを半分くらいは晴らせたのかなぁなんて思います。 総合結果では『ICV総合5位』という結果になり、目標の総合優勝は果たすことが出来ませんでした。
7人という少ない人数のチームで、最終的に総合順位で表彰台に上り、全種目完走を果たせたという結果は、自分にとっても大きな自信につながりました。それと同時に、大きな達成感を得ることができました。
ただ、やはり総合優勝を果たし、日本一になるには気持ちだけではなれないということも痛感しました。 この一年間、ずっと総合優勝するという気持ちを胸に活動してきて、やるべきことも自分なりにやってきたつもりでしたが、日本一というものはそう甘くはないですね。 やるべきことをやり、プラスアルファで何かをやっていかなければ、他の強豪校を倒すことは難しいということです。
約2年半、学生フォーミュラをやってきて、色んな経験をさせていただきました。 マシンの設計・製作はもちろん、スポンサー様の企業に訪問したり、社会人の方々と接する機会も格段に増えたりしました。
もちろん楽しいことばかりではなく、つらいことや上手くいかないことも多いです。 でも、そのような失敗や経験を通じて、本当に多くのことを学ぶことが出来る活動です。 おそらく、普通の大学生活を送っていては経験できないようなことが『学生フォーミュラ』をしていれば、数多く経験できます。 学生フォーミュラは9月に大会があるので、勝ち負けが当然つきます。 そこが個人的にとてもいいなぁと思っています。
「負けて悔しいからやる」 という気持ちは、普通の大学生活では得られないのでしょう。 また、自分たちがやってきたことに得点が付き、勝敗が付くというのは、次へのモチベーションにもつながります。
Fig6.表彰台にて。最後の1年、一緒にやってきたメンバーたちと。
前述したとおり、自分も最後の一年間は「悔しいからやる」という気持ちで、一年間努力してきました。 そして何より、この活動をしっかり引退までやり遂げ、たくさんの貴重な経験をしたおかげで、自分への自信が付きました。
上手くいかないことがたくさん経験でき、同時に「勝って嬉しい」、「負けて悔しい」、そこからどうやってチームを成長させていくかを、色んな方々のご支援のもと、身をもって経験できるこの学生フォーミュラという活動は本当に素晴らしいものだと、引退した今、胸を張って言い切ることができます。
そして何より、忘れてはいけないのが「感謝」の気持ちだと思います。 一台のマシンを作れているのは、メンバーのみならず、スポンサーの方々からの多大なるご支援があってのことです。
感謝の気持ちをもって、目標に向かい、強い気持ちをもって努力していけば、学生フォーミュラを通して、色んなことを学び、自分を成長させることができると確信しています。
(執筆:横浜国立大学フォーミュラプロジェクト(YNFP):市川貴之)