極東ロシア:ウラジオストク訪問記(その2)
前回の(その1)に続きまして、その2でございます。
滞在2日目より、現地の自動車中古部品関係の業者さまへの訪問となります。最初に訪問したのが、日本からの中古タイヤーを輸入している業者さんです。
約4,000㎡の倉庫と保管ヤード
日本から到着したコンテナーとタイヤー
その会社社長の話によると、近年は安価な中国産の新品タイヤーが数多く輸入されて来ているとの事ですが、ウラジオストクのお客様は日本製のタイヤーへの信頼は厚く、中古でも日本ブランドを選択される事が多いそうです。特に凍てつく大地のロシアでは、冬用タイヤーが信用できないと怖くて走れないとの事。御述しますが、ウラジオストクは坂の多い街なので苦労は絶えないようですね。そんな訳でこの業者さんは日本からの日本ブランドタイヤーの輸入に特化する事で他の業者差別化を計っているとの事です。
しかしルーブル暴落によってウラジオストク経済も大きく打撃を受けたようで、3店舗あったお店を空港から伸びる幹線道路沿いに新しいお店を作り、元々あった3店舗を閉めて1店舗に集約したとの事です。輸入しているのは中古タイヤーに限らず、型落ちの新品タイヤーも購買しており敷地内のストック倉庫代わりに使用している海上コンテナー内にはバントラ用から乗用車用まで多様なサイズの新品タイヤーや中古タイヤーが在庫されていました。
ちょうど訪問した朝に富山からの中古タイヤーを満載した40フィート海上コンテナーから、陽気なコンスタンチンさん達がデバン(荷下ろし)をしていました。中古タイヤーの輸出入の場合、輸送経費を少しでも抑えるように、大きいタイヤーの輪の中に、もう一サイズ小さいタイヤーを入れ込みコンテナー容積を最大限有効にしようする方法のダブリングという方法を選択する事が多いですが、よく見るとダブリングされているのでは無く、応急用のホイール等が無理やり装着されているようです。話を聞くとロシア側の関税の都合との事で、ホイール無しの中古タイヤーが約25USドル/本に対し、ホイール付きの中古タイヤー約7USドル/本と、安価に設定されているとの事で、ダブリングして体積を減らすより関税を下げた方がトータルコストは安価に済むとの事でした。
輸出向けの中古タイヤーは日本の3社と契約をして集荷と出荷をしており、毎月数本を日本から輸入しているとの事でした。大体1コンテナーには850本程のタイヤーが入ります。タイヤーサイズの大小と中古タイヤーなのでタイヤーの山の残り、つまり残存溝(0分山〜10分で表す、10分は新品同様の意)の山量で単価が違うようです。
デバン(荷卸し)中の、コンスタンチンさん
場内、様々なサイズの中古タイヤー
現状でウラジオストクでの、新品の中国製タイヤーの販売シェア5割程度はあるのではないかと社長は言っていましたが、10月末ごろから4月中旬までは市内でも凍結路が多くなるので、信頼の高い日本製のスタッドレスタイヤーが多く売れるとの事。その販売方法としては業販の卸売でモスクワやサンクトペテルブルグ等々の西部へも売るが、50%以上が個人ユーザーへの販売であるとの事。従い対面販売ではタイヤー交換センターも設立しているし、交換した廃タイヤーの引取も実施しているとの事。その廃タイヤーは専門の業者が引取りして破砕粉砕して燃料として使用されている様です。また、特筆すべきはインターネット上での販売も多く個人向けの販売先はロシア全土に渡るとの事でした。
問題は、タイヤーという消耗品のために日本からの輸入に頼っていても十二分に商品の買付が出来ていないとの事。取扱量を増やす為に、日本で新規の自動車リサイクル業者と業務提携をしたいと熱望していました。
丸印に“浜”と日本語看板付きのトラック
信号が無い交差点は、強者のみが通行可能!?
2軒目から4軒目を除く6軒目までは、全て自動車中古部品販売会社に訪問しました。先に紹介した中古タイヤー販売会社の設立が1993年。2軒目に訪問したのが1990年代後半、3軒目が2000年くらい、5軒目が1996年に会社を設立したと言っていましたが、どうやらウラジオストクの自動車業界は1990年頃から2000年にかけて飛躍的に軒数が増えたようある。
もちろんそれには理由があって、十月革命と呼ばれるロシア革命(1917年)から内戦を経て、1922年にソビエト連邦が成立したのが、1922年。第二次世界大戦が1945年に終結すると自由主義国アメリカと双璧となす社会主義国となったが、1985年に、官僚の腐敗、政治の腐敗等により深刻な経済危機に没落した国を建てなおそうとしてミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長はペレストロイカと呼ばれる、社会主義的範囲な自由化・民主化を推し進めた。しかしその結果、保守派と改革派が大きく争う事になり、バルト3国の独立やクーデーター等の要因を引き起こす事にもなった。最終的に1991年にソビエト連邦は崩壊し、ソ連はロシア連邦とその他の数多くの独立国となった。また同時期にアメリカとの冷戦も、1987年に中距離核戦力全廃条約を締結した事から始まり、ソ連のゴルバチョフとアメリカのジョージ・ブッシュ大統領が、1989年12月2日・3日のマルタ会談にて冷戦の終結を宣言した事によって終結した。
つまり、85年のペレストロイカ、89年の冷戦終結、91年のソ連崩壊と、社会主義に守られていた鉄のカーテン内には自由化の大波により、自動車ビジネスチャンスが増幅した時期である。その1でも記載したとおりロシア人船員のお土産品としての中古車輸入ビジネスが盛んになるにつれ、補修部品の必要が多く発生して、自動車中古部品の輸入ビジネスが始まり発展していったのです。
中古エンジンの載せ替えを説明する社長
日本から輸入された、トラックのキャビン
所狭しと在庫してある自動車中古部品
KAMSKAYAパーツ販売マーケット
最大手と思われる業者の倉庫内
ノーズカット部品と言われる在庫品
4社の中古部品販売業者を訪ねて話を聞いたが、最大手と思われる業者では、台湾と日本から海上コンテナーにて、毎月20本から30本を輸入しており、ウラジオストクで6店舗、シベリア付近のノボシビルスクで5店舗首都モスクワで1店舗の合計12店舗を運営しており、従業員は約300人雇用しているとの事。しかもその在庫点数は約1,000万点も有していると説明を受けました。確かに訪問した小売り店舗を兼ねる在庫倉庫内を見学しましたが、他社を圧倒する在庫の量でした。では他の業者はどの程度の規模かと言うと、海上コンテナーで毎月3本から4本の輸入で在庫点数が1万点弱、従業員20人くらいで中規模業者のようです。
各社ともに事業規模の大小はあっても、ビジネススタイルは大きく変わらずに、個人さまへの小売りが一番の重点ポイントにおいている様です。ロシアの東端のウラジオストクから、西方のシベリアや更に西方のモスクワの業者への卸売りも実施するが、業販の比率は高くても15%程度だろうとの事です。それは修理の際に自動車ユーザーが自ら部品を探して、自分で取り付けたりする事が多いと言う事と、自動車をとても大事に扱うのだが、信号が少なく道路整備も未発達なエリアも多いので、ボディパーツに関しては良くぶつけるといった事情があるようです。
小売店舗で買った部品を取り付けるお客様
DIY(Do It Yourself)の風土が強い
訪問した全ての自動車中古部品販売業者に共通しているのが、3つの要因である。1つ目が、小売り強化の為のインターネット販売。2つ目が在庫管理の為の管理システムの構築。3つ目が日本に仕入で派遣するスタッフとの情報共有である。それは日本の廃車から取り外される自動車中古部品の質が高く、ロシアにおいて商品価値と人気が高い事が前提にあるのですが、日本から闇雲に自動車中古部品を仕入れるのではなく、数万点の在庫部品の管理に始まり、商品の需要と販売価格と市中の在庫量の把握。つまり売れ筋の商品を把握できる事が必要になってきます。どの企業も日本に派遣するスタッフにはノートPCとモバイル端末(携帯電話やスマートフォン)等を支給して連絡を取り合っています。また時差が少ない事も優位に働くのか、必要に応じて即座に連絡を取り合えるのも、過去の経験や知識による勘に頼る事が無いスマートな方法を取り入れているのである。
在庫をPC管理するシステムを有している
商品画像を撮影する為のスペース
部品の在庫情報は、画像も管理されている
倉庫の在庫管理は、バーコードで管理されていた
訪問した全ての業者に共通していたのが、インターネットでいわゆる B to C を促すポータルサイトである、Japancar.ru の利用である。他にも、重機に船舶に自動車等を扱う、QX9 と言うサイトに、GreenParts.ru に、Carbonus.ru 等のサイトがある。また中古車に特化しているのが drom.ru であるようで、各サイトの棲み分けが、ある程度は出来ているようである。
1990年代から猛烈に進んだ自由化のビックウェーブと共に、輸入中古車販売と輸入中古部品販売のより良い物を求めるユーザーが増えてきたのを受け、Just communication 社は Japancar.ru を2000年に設立しサービスを開始した。ロシア最大の中古部品販売サイトの運営会社の事務所としては思ったよりも手狭な感じがする所内で話を聞いてきましたが、2000年の解説当時の苦労や、新しいモノに対する軋轢。在庫や価格の提示を疑心暗鬼に陥り警戒を強める雰囲気。そして積極的にサイト活用をしてくれる業者の出現と連携。そしてサイトを積極的に活用した中古部品販売会社の躍進。その躍進を見て同業ライバル他社たちの積極参入。サイト登録されている中古部品点数の伸びと共に発展しロシア国内でも屈指のサイトに成長してゆく。と、会社のサクセスストーリーとしても十分に聴きごたえのある内容のお話でした。
サイト運営の仕組みとしては、販売者も購買者も基本的な利用料は無料。販売者は20点以上の部品をサイトに登録するには、1点あたり1ルーブル必要となる。大口の販売者には掲載点数に応じてボリュームディスカウントの仕組みを取り、全商品ともに掲載期間は1年間。販売者は登録専用のサイトから登録を実施してそのサイトがそのまま在庫管理としても利用可能なように、掲載部品にはユニーク番号とバーコードを割り当てているようだ。また有料で分析レポートが出せて、どの商品が売れ筋なのかを把握する事が出来るオプションも設定されている。また基本、購買者の検索時には新しい登録の商品が画面上位に掲載されるが、販売者がバナー広告枠を購買したりすれば、そちらが優先されているようだ。2015年の時点で販売者として登録されている業者数は、714社!であり、登録点数は新品部品が約320万点、中古部品が750万点と膨大であり、サイトアクセス数は、約10万件/日。購買者はサイトを閲覧し販売者と直接交渉をして購買をする仕組みで、購買後のサイトからの登録削除は販売者が手動で実施しなければならない。基本、保障無しの販売方法が取られるようだが、購買者向けの掲示板が設置されており、悪質な商品を販売する会社の悪評は瞬く間に広がるので、サイト浄化作用となっているようだ。
Japancar.ru の運営会社が入るビル
サイト仕組みを説明してくれている
ウラジオストクの中古部品販売業者のほぼ全てが利用しているサイトなので、中古部品輸入会社は日本で商品を仕入れる際にでも、販売価格の予想が容易になり仕入れ値を算出する事が可能となっているようです。
今回訪問した部品販売会社さんも、エンジンに特化している業者や、外装部品のパネルパーツに特化している業者や、トヨタに強い、ニッサンに強い、ホンダに強い等の各社の特色を出している中で、我々日本サイドの自動車リサイクラーも、このサイトでの販売価格を確認すればある程度の価格の予想が可能になるのである。もっとも、人件費や輸送費のコストに加えて、中古部品の関税に関して理解が無いと売価の高さに憤りを感じる事になるだろう。渡航当時の関税は500円/㎏程度に課税され、20トン輸入すると100万円相当だからだ。
それらを考慮にいれると業者間の競争が激しく、いかに日本からのより良い仕入れルートを築けるかが肝だ。
ランチしたレストラン付近の路上、日本車ばかり
ルーブルに両替した銀行の駐車場。日本車ばかり
SUV車は悪路の多い、ロシアでは大人気だ
リエッセ?コースターR?貸切したバス(左側)
街路樹に美しい街並みの市街地
鉄帽には、「私は遅刻しました」と書いてある
次回(その3)は、ウラジオストクに輸入される中古車についてです。乞うご期待!
パーツやメタル資源として再利用し国内外に販売!
車解体の資格を持つ廃車.comの工場と直取引だから高く買取れる。
すでに払った31,600円の自動車税も返ってくる。
(4月に廃車/1,600cc普通自動車)